1956年1月の経営方針発表会で「松下電器5カ年計画」を発表する61歳の幸之助
■衆知を経営に活かす
経営は経営者だけのものではない。社員一人ひとりが創意工夫によって価値を生み出す存在であり、そこにこそ仕事のやりがいや生きがいが生まれる。そう考えた幸之助は、全ての社員に経営者意識を求め、「社員稼業」に徹する大切さを繰り返し訴えました。しかし、どれほど優れた人でも、一人の知恵には限界があります。一人の判断に頼れば、誤りや失敗を招きかねません。だからこそ幸之助は、社員一人ひとりが社員稼業に徹する中で培った知恵を結集し、それを経営に活かす「衆知」の重要性を説いたのです。その考えを端的に表した言葉が、「衆知を集めた全員経営」です。この理念は、現在もパナソニックグループの経営基本方針の一つとして受け継がれています。

(左)社員座談会で記念撮影する64歳の幸之助。あらゆる機会を通じて社員との対話を重ね、衆知を集めた全員経営の実行に努めた
(右)1954年に提案制度を導入。一人ひとりの知恵を経営に活かす仕組みを整え、1970年には年間65万件を超える提案が寄せられた後年、幸之助は次のように述べています。「衆知を集めた全員経営、これは私が経営者として終始一貫心がけ、実行してきたことである。全員の知恵が経営の上により多く活かされれば活かされるほど、その会社は発展するといえる」社員一人ひとりが社員稼業に徹して磨いた個の力と、その力を結集して生まれる衆知こそが、会社の発展を支える原動力となる。幸之助は、この信念を生涯にわたり貫いたのです。
■全員経営で成し遂げた5カ年計画

1950年代後半、爆発的な家庭電化ブームを背景に、松下電器は次々と新製品を投入。人々の「豊かなくらし」への願いに応えた衆知を集めた全員経営の真価が試されたのが、1956年1月の経営方針発表会で、61歳の幸之助が発表した「松下電器(※)5カ年計画」でした。戦後復興を経て、日本経済が本格的な成長期へ向かおうとしていた時代。幸之助は売上高を5年で約4倍の800億円へと引き上げる壮大な目標を掲げます。そのあまりの規模に、社員は驚きを隠せませんでした。しかし、幸之助は断言します。「この計画は、豊かなくらしを願う人々の要望を数字に表したものだ。全員経営に徹すれば、必ず達成できる」さらに翌年の経営方針発表会でこう訴えます。「松下電器は全員の衆知によって経営されている。一人ひとりの知恵が結集され、正しく活かされたとき、その力は社会への大きな貢献をもたらすに違いない」この呼びかけに社員は奮起し、全員が一丸となって計画の達成に挑みました。1950年代前半に誕生し、後に「三種の神器」と呼ばれた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の改良モデルを次々と市場に送り出したほか、炊飯器やステレオなどの新製品も相次いで発売。販売網の強化や宣伝活動にも力を注いだ結果、5カ年計画は1年前倒しで達成され、最終年度には売上高が1,054億円に達するなど、目標を大きく上回る成果を収めました。こうして5カ年計画は、衆知を集めた全員経営が人々の豊かなくらしと企業の発展を支える原動力であることを証明したのです。
(※)現在のパナソニック ホールディングス。

1950年代前半、家庭電化を象徴する「三種の神器」の当社1号機が誕生。1951年に洗濯機(MW-101/中央)、1952年に白黒テレビ(17K-531/左)、1953年に冷蔵庫(NR-351/右)を相次いで発売し、技術革新と量産化で一般家庭に手の届く価格を実現していった
■「素直な心」があればこそ
5カ年計画を達成した幸之助は、「最高の経営は衆知による経営である」との確信を深めました。そして翌1961年1月、この理念を後進に託して社長を退き、66歳で会長に就きます。





この記事へのコメントはありません。